鷲田清一さんのエッセイにこんな言葉が
引用されていた。

 ひとは自分の始まりを理解できない。
 終わりを経験できるかどうか、おそらくは
 疑わしい。とすれば、生きているそのあいだ、
 なるたけ多くの「終わり」に触れておく。
 
 そのことが、人間の生を、いっそう引きしめ
 、切実に整える、そういうことが、ひょっとして
 あるのではないか   (いしいしんじ「且座喫茶」より)


 なるほどと思いつつも、果たして自分にできるだろうか、
と考えてしまった。たくさんの「終わり」に触れることは
勇気がいることだと思うから。